ホメロス『イリアス』紹介―私利私欲に満ちた神々の内輪揉めと巻き込まれてゆく哀れな人間たちの物語Part2 

哲学·文学

どうも、ちせいです。

今回はホメロス『イリアス』の岩波文庫版の上巻、つまり第一歌から第十二歌までを紹介しよう。といっても、そもそも『イリアス』がどういう話なのかを語らずしていきなり本編の半分を語り始めるなんてことをやっても読者諸兄を混乱させてしまうに違いないから、まずは『イリアス』がどういう話なのか、めちゃくちゃ大雑把に説明して、それから上巻の解説と見どころを紹介することにしよう。

1.『イリアス』とは?

「イリアス」という言葉は、「イリオンの」という意味の古代ギリシア語で、要するに、イリオンでのとある出来事に関する叙事詩ですよ、ということを言いたいタイトルなのだ。ちなみにイリオンというのはトロイアのことなので、この叙事詩はつまるところトロイアに関する叙事詩ということになる。ではいったいトロイアの何なのか、ということについては、言わずもがなトロイア戦争のことだ。

前回の投稿で触れたとおり、トロイア戦争はギリシア神話に登場する、今でいうギリシア人とトルコ人の戦争で、その戦争の原因は神々の幼稚な喧嘩から始まったのであるが、『イリアス』はトロイア戦争が始まるところから詠われているのではなく、戦争が始まって十年の月日が経過し、だんだんマンネリ化してもはやどうでもよくなってきた感が否めないような雰囲気に包まれながら、とうとうギリシア軍で内輪揉めが勃発したところから始まる。つまり、第一歌の一行目の時点で、戦争は既に膠着状態になっているのだ。そして前回の最後にも説明した通り、その始まりはアガメムノンに妾の女を奪われたアキレウスがブチ切れているところからスタートする。

『イリアス』は、戦争十年目にしてアガメムノン(ギリシア軍総大将)とアキレウス(ギリシア軍の最強戦士)が女のことで喧嘩になり、不貞腐れたアキレウスはもう闘ってやらないとか言って自分の陣営に引きこもってしまうところから始まる。それから厭戦気分漂うギリシア軍に対してアガメムノンが士気を試したり、もういっそ休戦しようということでメネラオス(アガメムノンの弟にしてスパルタ王、ヘレネの夫)とパリス(トロイア最強戦士ヘクトルの弟にしてトロイア王プリアモスの次男。ヘレネを横取りしてトロイアに連れて帰った)という、戦争の原因になった張本人たちによる一騎打ちが始まったり、休戦の誓約が事実上トロイア側によって破棄されたりして、再び泥沼の戦争となってゆく。そんな時、パトロクロス(アキレウスの親友)が、俺がアキレウスの鎧兜を身に付けて前線に立つとか言って出ていくが、結局ヘクトルに討ち取られ、挙句アキレウスの鎧兜まで奪われる。パトロクロスが討ち取られたことを知って発狂したアキレウスはついに戦線に復帰し、すさまじい勢いでトロイア軍を蹴散らし、最後にはヘクトルと一騎打ちをする。これによってヘクトルは討ち取られ、アキレウスはヘクトルの遺体を戦車に括り付けて何日も引きずり回す。そのことでメンタル崩壊した、ヘクトルの父にしてトロイアの王プリアモスは、直接アキレウスの陣営に一人で乗り込み、どうかヘクトルの遺体を返して下さいと泣きすがる。絶対に返してやるものかという強い意志を以って聞く耳を持たなかったアキレウスも、ついには折れて遺体の返還に応じ、ヘクトルの葬儀が営まれるところで、物語が終わる。

極めて大雑把ではあったが、以上が『イリアス』のあらすじだ。そして上巻の第一歌から第十二歌までは、アキレウスが引きこもるところから、メネラオスとパリスの一騎打ち、休戦の誓約破棄、そして再び戦争の激化して優性となったトロイア軍がギリシア軍の城壁を突破するところまでが詠われる。

第一歌から第十二歌までの目次はこんな感じ。

第一歌 悪疫、アキレウスの怒り

第二歌 夢。アガメムノン、軍の指揮を試す。ボイオテイアまたは「軍船の表」

第三歌 休戦の誓い。城壁からの物見。パリスとメネラオスの一騎打ち

第四歌 誓約破棄。アガメムノンの閲兵

第五歌 ディオメデス奮戦す

第六歌 ヘクトルとアンドロマケの語らい

第七歌 ヘクトルとアイアスの一騎打ち

第八歌 尻切れ合戦

第九歌 使節行。和解の歎願

第十歌 ドロンの巻

第十一歌 アガメムノン奮戦す

第十二歌 防壁をめぐる戦い

ちなみに、岩波文庫版の『イリアス』は、それぞれの歌に梗概がついている。内容的には決して読みやすとはいえず、上巻でさえ最初の数ページ、あるいは数行目を通すだけで読むのを諦めたくなるような『イリアス』だが、とりあえず読み始める前に、一通り上下巻の梗概を読むだけでも頭への入り方が全然違ってくるからとてもありがたい。『イリアス』を上下で買って、手元にはあるけれど読む気にはなれない、という方は、ぜひ梗概だけでも読んでみて欲しい。

2.ここが面白い! 『イリアス』上巻の読みどころ

以上が『イリアス』のあらすじだが、僕が思うに、『イリアス』の真の面白さは、『イリアス』における話の流れではなく、神々のくだらない言い争いやタイマンが描写されているという点だ。以下、具体的に僕が面白くてたまらないと感じたシーンをいくつか紹介しよう。

とその前に、そもそもトロイア戦争における神々の位置づけだけ簡単に説明しておこう。

トロイア側ギリシア連合側
ゼウス
アポロン
アルテミス
アレス
アプロディーテ
ヘラ
アテナ
ヘパイストス
ポセイドン

他にもいろいろと神が登場しては戦いに参戦するが、とりあえずこれだけ知っておけば何とかなる、というのが上の構図だ。そしてそもそも何でこんな構図になったのかというと、簡単に言えばもともと神々はトロイア側に立っていたが、パリスを守るアプロディーテが気に食わないヘラ、アテナ、ヘパイストスらと、自分がトロイアのために築いた城壁の報酬をトロイア側が踏み倒したことにブチ切れたポセイドンがギリシア側についた、という感じで認識してもらえばとりあえずOKだ。

第一歌ではさっそく、ゼウスとヘラが言い争うシーンがある。発端は、アガメムノンに自分の妾を奪われたアキレウスを哀れに思った母テティスがゼウスにこんなことを言う。

……アカイア勢(ギリシア連合軍のこと)が倅(アキレウス)を大切に扱い、然るべき償いをして名誉を回復するまで、トロイエ方に力を与えてやっていただきたいのです。

敵の敵は味方じゃ、という理屈でなんと本来の敵に味方してやってくださいとゼウスにお願いするテティス。しょっぱなからハチャメチャで面白い。これに対してゼウスは「一言も答えず、長い間黙ってじっと坐っていたが」、テティスに続けて催促され、こう答える。

なんとも厄介な仕事だな、そなたのお蔭でヘレがまた口汚くわしに喧嘩をしかけ、われら二人の間がまずいことになりそうじゃ。それでなくとも、あの女はいつも神々の面前で喧嘩をふきかけ、わしがトロイエ方に合戦の手助けをしていると責めてくる。しかしまあ今日のところは、ヘレに気づかれぬよう、ここを引き取ってくれ。願いの筋は、なんとか叶えてやれるように考えておこう……

夫婦仲に亀裂が入ることを恐れつつも、女の頼みは断れないゼウス。優しさの背後に情けなさがにじみ出ているのが否めない。そしてこのシーンはしっかりヘラにバレてました。

あなたはほんとうに悪賢い方ですね、またしてもあなたと組んで、なにやら話し合っていたのは、一体どこの神なのです。あなたはいつもわたくしの眼を盗んでこそこそと思案しては、ことを決めるのがお好きらしい。これまでもあなたがなにを考えておいでなのか、御自分から進んで話す気になって下さったことなど、一度もありませんもの。

だんだん修羅場の様相を呈してきたが、案の定ここからゼウスは開き直って妻に高圧的な態度で言い返す。

ヘレよ、わしの考えていることを残らず知ろうなどとは思うなよ。そなたはわしの妻ではあっても、さようなことは無理というものじゃ。もとよりそなたの耳に入れて然るべき頃は、相手が神であれ人間であれ、なんぴとにもそなたより先に知らすようなことはせぬ。ただし、わしが他の神々に計らずにしたいと思う事柄については、一々問い質したり、穿鑿してはならぬぞ……

こうして夫婦喧嘩が始まり、神々の宴会の席になってまでもくだらない言い争いが続くのだが、そこでゼウスとヘラの息子ヘパイストスが仲介に入り、喧嘩は一段落する。曰く、

……たかが人間どものことで、こうしてお二方が啀み合い、他の神々の見ている前でわめき立てられては、厄介なことになりかねぬし、またこれ以上我慢のできることではない。芳しからぬことがまかり通っている中では、せっかくの馳走の味も台無しになる……

取るに足らない人間どもの戦争のことでいちいち神々が喧嘩してたら飯がまずくなるからやめてくれ、と言っているわけだ。恐るべしヘパイストス。

ところで、トロイア戦争では神々も人間に交じって戦争に参加するのだが、ということは当然、神と人間が戦闘するシーンもある。例えば第五歌では、ヘラとアテナ、アレスとアプロディーテが戦場に繰り出すが、アテナは自分が目にかけているギリシア側の剛勇戦士ディオメデスにこんなことを言っている。

……アレスなど恐れることはない、いやアレスばかりかどの神も恐れずともよいぞ。それほどにもわたしはそなたに味方しているのだ。真っ先にアレスめがけて車を走らせ、間近から刺してやれ……

こう言いながらさんざんアレスを侮辱しまくるアテナ。そして読者を裏切ることなくしっかりディオメデスはアレスを襲う。アテナが補助するディオメデスの槍に下腹を貫かれたアレスは、この世のものとは思えないような悲鳴をあげながらオリュンポスに逃げ帰る。そして負傷して帰って言い訳をするアレスにゼウスがブチ切れる。

この内股膏薬めが、わしの膝下で泣き言をならべるのはやめぬか。オリュンポスに住む神々の中で、お前ほどわしが憎いと思う者は他におらぬ。おまえが好むのは、争い事、戦争、喧嘩ばかり。お前は母ヘレの手に負えぬ強情な性分を受け継いでいる。わしもあの女は口だけではなかなか抑え切れぬ。それであるからわしの思うには、お前がこのような目に遭ったのは、恐らくあの女の差金によるのであろう……

戦場では散々アテナにバカにされておまけに怪我まで負わされた挙句、帰ったら帰ったでゼウスに怒られる。なんだかアレスが可哀そうに思えてくるシーンだ。

こんな具合で、『イリアス』では神々がしょうもない喧嘩を繰り広げたり、神々が戦場にでて人間と闘ったり―もっともその人間の背後には別の神がついているのだが―したりする描写が、他の単なる歴史物語としての叙事詩と一線を画している、極めてユニークで面白い点だ。上巻では、両軍の戦いが泥沼化する中で終わるが、下巻では戦いが大きく進展し、それに伴って神々の思惑のぶつかり合いもさらに面白くなる。

ということで、次回は下巻のあらすじを少し掘り下げながら、神と神、人間と神の面白いやりとりを紹介しよう。

コメント

タイトルとURLをコピーしました